クリスマスのミームと「サンタクロースっているんでしょうか」

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メリークリスマス!
クリスマスが皆様にとって良い日となりますように。

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クリスマスに心弾んだり、揺れたり心の振幅はいつだって波があり、一瞬一瞬の出来事にあれこれと理由をつけたりしながら日々、私たちの思い出や声は創られていきます。それは、時に情報として皆に共感、共有されてやがて文化の一端を創るようになっていったりもします。

SNSが発達した昨今では「バズ」やら炎上やらも共感、共有の一つの形と言って差し支えないでしょうし、その拡散のスピードは、圧倒的に速くもなりました。

「ミーム」という言葉で、これらの共有される声は「人類の文化を進化させる遺伝子以外の遺伝情報」と定義されたりなんかしたりします。始まりは人一人の思いなのにそれが波紋のように伝播し、やがて文化を創っていくことの不思議。わかりやすくいえば皆が知っている「おやくそく」はなぜ創られていくか?という感じでしょうか。


今日と明日、子どもに沸く一番の疑問は「サンタクロースはいるのかどうか?」になるでしょう。
私も子どもの頃には同じ疑問を持ち、この茶番に付き合いさえすればプレゼントがもらえると思うほどに斜に構えてしまったことがあります。今思えば、絵に描いたしたり顔の嫌なガキですね。
サンタがいるかいないか論争については、幼児期のお子さんの心の導きにおいて大きなウエイトを占めることにもなるので、ここはひとつこのミームと名著の力を借りて私なりに納得の行く理由を考えて見たいと思います。

 

「サンタクロースっているんでしょうか」という8歳の少女の新聞への投書による問いかけに対してに、論説委員のフランシスチャーチさんが丁寧に答えた名著があります。
いけ好かないすみずみボーイも30年位前に同じ疑問を持って、小学校の図書室でこの本を取ったことをよく覚えています。

もちろん「いないはず」のものに「いないはず」の十分の理由を見るために。

元々は、幼稚園児の頃のクリスマス会に幼稚園バスの運転手さんがバレバレの変装でサンタクロースに扮してクリスマスプレゼントを配るという業の深い演出のせいにずいぶんと失望させられたせいだったと記憶しています。この本に書いてあることは、すみずみボーイの期待した「いないはず」の理由はひとつも書いてありませんでしたけれど、随分とこの本を読んで納得したことを覚えています。

詳しくは本を読んで頂くとして「目に見えないからといって信じなくてもいいわけじゃない」と思わされたことだけは覚えています。目に見えない愛とか思いやりとかいたわりだとかはなんとなくわかる年頃のとき、サンタクロースが何なのか思惟することの大切さに気づかされます。

ここでサンタクロースは形而上の存在ですと断言するのもフィンランド在住のトナカイに乗った某本物の方に怒られるかもしれませんから、「目に見えないものでも信じる」ことができるものはたくさんあるんだよと教えてあげるのがいいでしょう。

その実例に「目に見えるミーム」として、彩られる街並みのイルミネーションや、クリスマスのケーキや七面鳥、そしてクリスマスプレゼントがあって、それを開ける幸せなあなたの笑顔がある。と伝えてあげればいいのではないでしょうか。

サンタがいなければそれが全部なくなるなんてまったくもって逆接的ですけれど、子どもにはそれだけでも十分なサンタクロースがいる理由になると思います。

そして子どもたちが大人になりサンタさんとの「おやくそく」を果たしてくれることを気長に待ちながら、私たちもその心の導きを続けてあげられるよう「お約束」を守り続けていきましょう。それこそが恐らくは「目に見えるミーム」を創る素となるでしょうから。

「声は電波に乗って」
流山すみずみ
https://nagareyama-sumizumi.com

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