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うんこ先生がやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!

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おおたかの森SCにうんこ漢字ドリルで有名なうんこ先生がやってきます。

うんこの出てくる日時は2月25日です。

1回目のうんこは、13:00から
2回目のうんこは、15:00からとなります。


つまるところ、2時間おきに規則正しくうんこが出ます。快便だね。

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「うんこ」というパワーワード

小学生を掴んで離さないこの「うんこ」のキーワード、漢字ドリルの発売当初には、まるで臭いうんこを見るかのような険しい顔をしていた大人たちも評判を聞くにつれ「それが勉強になるなら…」と態度を軟化させていきました。

 

市井の我が家の娘たちは、無邪気なもので「うんこ」とか「おなら」とか大人のリアクションが大きい言葉を好き好んで使う節があります。とすれば必然、このドリルにはそれはもうレバーを引いたらうんこが流れるくらいにシステマチックに虜にされてしまいました。

ゲラゲラ笑いながら、子どもたちが勉強する姿を見ると、これもまた言葉のパワーなのかなんてことを思いつつ、もう一つの思索が巡ってきます。

好きか嫌いか

うんこドリルに虜になる子どもたちの姿を見ていると、子どもたちにとって面白いか、そうでないかの差こそあれ、遊びと勉強の区別はないのだという事に気付かされます。

好きならやるし、気に入らなければやらない。社会的な使命感や義務というものが乏しい幼少期だからこそ、より奔放で本能的な「好きか嫌いか」での選択をする節が見えてきます。

そしてこのあたり、親として正しい導きもまた必要になってくるところでもあるでしょう。使命感と義務感と自己実現欲を幼少の頃から所作になるように導くことも正しさの一つではありますけれども、到底私にはそこまでの導きはできそうにありません。

世の中に大義を見つけて、世界を変える救世主になろう!といわんばかりに使命感や義務感や自己実現を促すのには、さして立派でもなく救世主でもない一庶民の私が実践するのには、少し嘘がありますし、無理があるからです。

それならば庶民派子育て的にはどう子どもたちを導いてあげたら良いのでしょうか。ここでキーとなるのがこの「好きか嫌いか」なんです。

りゆうがあります

 

少し話を脱線すると我々には様々な状況がついてまわります。
子どもの頃なら勉強だから。遊びだから。決まりだから。子どもだから。
大人になったらなったで、仕事だから。時間がないから。お金がないから。

そう、色々なものです。
わたし、おかあさんだから。これもまた色々なうちの一つになるでしょうか。

しかしながら、上記に上げたものは、「理由」になるかと言うと実の所、私にはただの条件にしか見えないんです。

なぜならば、そこには「好き嫌い」がないから。

責任と義務も自己実現も自己犠牲も上記のような条件を理由と履き違えてしまったら、うまくいくことは稀でしょう。いくら条件を並べてもそこに寄り添う感情がなければ、その選択には魂がありません。

だからこそ、理路整然とつなぐべきものは、うんこが面白いと思うような「感情」であって欲しい思います。それこそが声であり、真の理由になるでしょうからね。

外堀を生める条件ではなく、内なる声にこそ耳を傾けたいもので、件のおかあさんの歌もその意味では、私にはただの条件の羅列にしか見えませんでした。ないがしろにされた感情の行き場の無さに故に炎上したのかなとなんてことをふと思います。

最終的な理由は「好き嫌い」」の感情に行きつくということを意識してみると、庶民の子育ては存外に上手くいく気がしています。感情を上手く引き出してあげれば、うんこを好み、また楽しめるわけですしね。

好きなものが増えれば増える程、それだけ理由も増えますし、嫌いなものもきちんとした理由があれば対処のしようも出てきます。とすれば行きつく所は、大成しなくとも折り合いのついたハッピーが待っている。そんな気がしています。

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