先日、おおたかの森駅西口から徒歩15~20分程度の場所にある流山警察署と茂呂神社のある窪地のあたり、流山市の里山の光景を色濃く残す大畔地域を訪れました。
前回訪問は去年7月と、森の美術館が建築中の頃でしたから、久しぶりの探訪となりました。
(前回訪問時の記事)
流山市大畔(おおぐろ)でのタイムスリップは未来へも。里山のモノリスこと「森の美術館」
https://nagareyama-sumizumi.com/440176442.html
街の定点観測というのは本当に面白いもので、日々の風景、光景の中にも季節の移り変わりや小さな変化をみつけたとき、時間の止まっているものは何一つないという新鮮な気づきを得ることができます。
今回訪問の目的も定点観測でした。その対象は「天満天神宮たわしマットのくたびれ具合について」の確認ですから、酔狂と言わずして何と言わんかといったところでしょうか。
前回訪問は2016年7月 結構なくたびれ具合のたわしマットに往時への思いが巡り、ノスタルジックが止まらなくなります。
そしてこちらが今回、2017年4月の訪問時の写真
そうです。「なんと、たわしマットが新しくなっています!」
これには私的に「おったまげー」でした。
さらにポイントが高いと思わされるのは、古いマットを処分したにも関わらず、新しいマットがデザインが全く一緒の「たわしマット」であること。この事実に私は最早、様式美を感じずにはいられません。
きっと何十年と代替わりをしてもなお、繰り返すこの「マットイズム」、うん十代目のたわしマットが参拝者一人ひとりを迎えることになったのだと思うと、ご利益すら感じてしまいます。
おふざけに見えるような書き方としていますけれどもお笑い半分、真剣さ半分の素直な気持ちです。
繰り返しながら、なお連綿と受け継がれる「意志」の強さ、それは一つ、激動する変わりゆく時代の中で変わらない伝統の強さを明示しています。
とかく変わりゆくことについて肯定的に捉えがちにもなりそうなところ、変わらず受け継がれるものにもやはり価値があります。
定点観測における変化がドラスティックであればあるほど、驚きも大きくまたわかりやすいものですけれど、たわしマットのように変わらなかった部分、受け継がれたことに対する気付きも本当に感慨深くなります。
発展途上のおおたかの森の駅前の劇的な変化のわかりやすさは、期待と相まって新鮮な街の空気感を醸し出してくれています。関心度が高く、最新の街のトピックとも言えるおおたかの森SCのリニューアルも街の期待を背負いつつもその期待に応えてもらえたらと心底思っています。
またその一方で常に最新を求められるニュータウンに対して、心のどこかで変わらないものが繋がれていくことにも期待をしています。「新しさ」でけでは決して街は醸成されませんし、突飛な新しいアイデアだけが注目を浴びるだけでも成功は約束されません。
やはり「マットイズム」的な伝統的で受け継がれていくもの、端的に言えば「受け継がれる共感=お約束」も大切にしていきたいと考えています。
こうしてニュータウンの発展していく様は、「しばらく合わないうちに大きくなったねえ」と目を細めて孫の顔を見る祖父母の気持ちにも似てもいるでしょう。そして「大きく立派になっても小さい頃から変わらないね~」という部分にも目と耳かっぽじって良く見ていきたいと思います。
そんなものに思いを馳せてみたくなったらぜひ一度来訪を。
里山のモノリスこと「森の美術館」もチューリップでお出迎えしてくれます。
「マット買い溜めてただけなんだけどというオチにも期待。」
流山すみずみ
https://nagareyama-sumizumi.com