その流れは手賀沼へ注ぐ
私の住む流山の街には、市内を小さな川が流れています。
その名を大堀川と言い、その流れはお隣の柏市を通り、手賀沼へと注がれています。
都市から郊外の切れ目を行く流域は、四季折々の変化に富み、所々に公園が設けられていることもあって、週末には川辺をゆく人のなんとも羽の伸びた雰囲気に包まれた憩いの場となっています。
また東葛飾地域のロードバイクやランニングの愛好家の週末アクティビティにとっては、江戸川沿い「海から29kmポスト」と手賀沼間を迷わず安全に繋ぐルートとして非常に重要な役目を果たしてもいます。大堀川沿いをゆく本気チャリを目にすることが増えたのにもまあそんな理由があるわけです。
ではどこから始まるのか?という疑問
手賀沼へ注がれるのはご存じの方は多くとも、ではこの大堀川がどこから始まるかをご存じの方はどれほどいるでしょうか。
このふとした疑問、地図上で手賀沼から川を示す水色を遡上し続けて行くと、カスミ流山おおたかの森店付近にある大堀川防災調整池でその流れが途切れます。コタツ記事で済ませるならば、「大堀川の始まりは大堀川防災調整池」で終わらせますけれども、私の知ってる実感とは異なるところもあって少しモヤモヤします。
流山おおたかの開発と相まって整理されたこの大堀川防水調整池は、文字通り調整池です。川の始まりが調整池だとするならばその池に注ぐ水の流れはいったいどこから始まるのかという次の疑問が沸きます。
道路冠水から思い出すヒント
大堀川防災調整池は、大雨のときはふだんの水位から約3.7m上昇する想定がされています。大雨時の増水は、流山では数年に一回のレベルで発生しますのでイメージが湧かない方には、事例として平成25年台風第26号の様子を例に挙げてみましょう。
3.7mの想定を超えた事は今のところは無いですけれども、近年の大堀川の治水上でやばかったのはこのレベル。その事の深刻さは十分に伝わるでしょうか。おいそれと用水路の様子を見に行っちゃいけないやつですね。
そしてこの2点の写真から、一つわかるのは、大堀川防水調整池には3.7mの増水の余裕があっても家の前は冠水したことがあるということ。「それはなぜか?」この問いが次の探求心を導きます。
暗渠には水路が通る
流山市内特に初石周辺には、暗渠が張めぐされていてその上が歩道化された通りがかなり多くあります。暗渠の上に等間隔に設置されたどぶ板から、古くから住む人はどぶ板通り等と呼んで親しんでいます。
暗渠化された道路が調整池に注ぐ処理量を超えたために冠水したとするならば、暗渠化されたどぶ板通りの下を流れるのは、当然のことながら水路であると言えます。このどぶ板通りを大堀川調整池と反対側に進んだのならば、真の大堀川の始まりがわかるのではないかという仮説を立ててみます。
調整池に注ぐ流れを遡り、まずは美田方面へ
よく見直してみれば地図上の大堀川の始まりとなる大堀川防水調整池内にも暗渠が接続されています。この暗渠を上流側へ辿って言ったらどうなるものかという事で今回のフィールドワークを始めます。
暗渠を辿る道を始めてすぐ、記憶と繋がるのは美田の桜並木。桜並木に沿って用水路が流れていることを思い出し、美田方面へ足取りを向けてみます。
アタリを付けて美田の桜並木通り方面へ行ってみると、調整池方面へ注ぐ暗渠と用水路の接点を見つけることができました。
ぐりーんばすのバス停美田桜並木通り付近で用水路は再び暗渠に入っていきます。
暗渠に入った後でも歩道を見れば、それがヒントになります。道路のアスファルトとは別に歩道にはどぶ板が設置されているので見失わずに済みます。
引き続き暗渠を追っていきます。
東初石4丁目をゆく
暗渠を追っていくと、程なくして住所は美田から東初石4丁目へと変わります。
近辺には、西原方面への抜け道があることから、住宅街の割には交通量も比較的多い所です。
暗渠の上を歩道とすることで、車道と歩道の分離ができているので近隣、八木北小学校に通う小学生はこのどぶ板の上を歩いてきます。
暗渠の水路が果たす副次的な役割のおかげで十分な幅の歩道が確保されているので、安全な通学路にもなっているのは興味深いところです。
車止めのバリエーションも結構あるもので、意外と飽きない道中です。時折暗渠がなくなることがありるものの道路地下を通って程なくして再びの暗渠が始まることがわかってきます。
東初石2丁目のダンジョン&トラップ
県道47号をまたぐと住所は東初石2丁目へ変わります。
県道47号をまたいで2丁目に入ってくるとどぶ板通りはディープさを増してきます。東初石4丁目のどぶ板通りは車道に平行する形で歩道を兼ねる構成となっているのに対して2丁目の通りは、車道に平行しない歩道オンリーの裏道となる通りが所々に出てきて、地元の人の地元の人のための通りのような印象を受けます。
東初石2丁目の冒険の入口と言いたくなるような民家と民家の間を抜ける暗渠の入口に自ずと冒険のテンションが上がります。
いざ突き進まんという思いで前を行きます。
程なくしてそして出くわしたのが「この先行き止まり」の予告。旅の終わりが近いのかという思いとともに意気揚々と進んでいきます。
予告の後、1分程で歩くとにわとり公園脇にて行き止まりに当ります。行き止まりに宝箱はないものの、旅路の果てに一服の達成感を感じるところです。
ここで一息ついて、行き止まりの左手ににわとり公園で休憩をすることとします。
にわとり公園には、土管が遊具として設置されています。ドラえもんの空き地を少し思い出すようでもあり、ちょっとしたノスタルジーを感じます。
暗渠が土管ならこんな感じだろうかなんて公園に目をやると、土管脇の不自然な小高い丘と奥手の石造りの何かが気になってきます。
石造りの何かが気になり、段差の上で見つけてしまったのがマンホール。そこで土管、マンホールその二つが「サイン」であることに気付かされます。
土管脇の小高い丘には、おそらく公園遊具となった土管と同じものが埋め込まれ、先ほどの行き止まりからなお暗渠が続いている可能性が濃厚そうだということ。試しに公園の先を除くと暗渠があることを示すグレーチング、どぶ板通りが復活していました。
東初石2丁目ダンジョンの高等トラップに旅が簡単には終わりそうにないことを肝に銘じその先を行きます。
復活のどぶ板通りは流山高校脇を沿って北へと延びていきます。
東初石1丁目のディープウェイ
流山高校を抜けて程なくして住所は流山市東初石1丁目へと入ります。にわとり公園を出た以後、車道と並行していたどぶ板通りは、再びディープなどぶ板通りの姿を見せます。
雰囲気のある床屋のサインを目印に暗渠の通りを進みます。
この辺りまでくると大堀川との繋がりを感じることはほとんどなくなり、横丁の路地といった佇まいに眼前のどぶ板通りが大堀川と繋がっていることが不思議な感覚になってきます。
常磐道をまたぐ
その不思議さに拍車をかけるのが暗渠が常磐高速道路を跨ぐところです。
暗渠の水路の下に常磐道のトンネルがあることになり、「地下って色々通っているのもんなんだなあ」の感想が漏れます。
暗渠が仮に壊れてもトンネルを水浸しにすることがないのは、なんとなく理屈ではわかっていても、頭上を水路が通る構図というのは何とも不思議な感覚があります。
常磐道の騒音対策のため、地下化された部分が多い流山IC-柏IC間では、トンネルの上部が緑地化されて生活の憩いの場となっています。
ゴール地点は江戸川台東1丁目
常磐道を跨ぐと住所は流山市東初石1丁目へと変わります。
進路のどぶ板通りは時折、車道と並行しながらだんだんと再びの暗渠歩道の道となってきます。
道中を進める事しばらくの間、ついに暗渠の終わりが訪れました。先ほどのにわとり公園と同じ轍を踏まぬよう入念に裏側も調べてみましたけれども、この先さらに続く暗渠もなかったのでこの地点が大堀川の始点と言い切ってよさそうです。
江戸川台東1丁目付近のこの場所が大堀川の真の始まりの場所と言えそうです。地味な所ですけれどもこの場所に辿り着けた私にとってはサライを流したい感慨が沸き起こります。
どぶ板通りの突き当りにあるものは「江戸川台浄水場」
さてこの突き当り、結構面白いもので水に関連した施設「江戸川台浄水場」に突き当たっていました。これは意外な驚きとともになんだか合点のいくものがあり、市内上下水道網への興味が沸くきっかけとなってきます。江戸川台には水源地がいくつかありますし、当時は湧水が豊富にあったからこそ、ここに浄水場を建てたのかもしれませんね。この結果は、物事の終わりはまた何かの始まりであるということの示唆のようでもいて面白いものです。
もう少しアカデミックに調べてみたい気持ちもありますので今後、気が向いたら継続的に取り組んでみることとしましょうかね。
ルートとまとめ
東初石近辺では典型的な光景となる暗渠のある風景も、手賀沼へと辿るそれなりのロマンがあると思うと意外な愛着が沸くかもしれませんし、今回のどぶ板通りを辿る道中を地図に書き起こしておきます。酔狂な方がいれば街歩きのご参考に。今回は大堀川防水調整池から上流を探る「どぶ板通り」を遡るルートとなりました。
他にも大堀川へと注ぐ支流はまだいくつかあります。例えば湧水地として有名なこんぶくろ池も大堀川の水源の一つとされ、地金堀を通って大堀川へ注いでいます。さらに柏市高田の近辺には柏市浄水センターが最上流と思われる支流のルートも確認することができます。全てのルートを辿るのは今後のお楽しみとして、街中には川を名乗らずとも川の元になる水路が数多く流れていることが知れれば、手賀沼へ注ぐ水の一滴にも親しみが湧こうものです。