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対鬼嫁最終兵器、それは「豆」さ

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今週末は2月3日の節分を迎えることもあり、世の中には履いて捨てる程の鬼が現れることとなります。鬼が跋扈する節分の日には、巷に溢れる鬼、身から出る鬼までが列を成して襲撃して来ますから、こちらもこちらで桃太郎よろしく鬼を退治していこうじゃありませんか。豆を片手に確かな声で「鬼は外、福は内」のライムを口にしようものならば、だれもがハッピーめでたしめでたしとなること請け合いです。

しかしながら、物事がおとぎ話のように簡単に進まないのは体のあちこちから白い毛が生えてくる頃の諸兄は勝手知ったる通り。豆まき如きでは傷一つつけることのできない鬼がごく身近にいることをこの街の食糧庫「カスミ流山おおたかの森店」が現実を突きつけています。

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カスミ流山おおたかの森店で節分イラスト大会開催中

現在、カスミ流山おおたかの森店では、季節折々のイベントとして節分イラスト大会が実施されています。子どもたちの描くイラストを店内のいたところに飾ってあって、さながら街の小さな美術展の装いがあります。店内に自分の絵が飾ってもらえたならば、子どもたちも幼ながらに恥ずかしいような誇らしいようなくすぐったさを感じられるでしょう。「上手に描いたね」「この鬼かわいいね」など様々な鬼を見てにっこりするのもこの季節ならではの一コマでめでたしめでたしと言えるでしょうか。

あの鬼に出会わなければ。

鬼嫁があらわれた!どうする?

 

この鬼をやっつけられるかって?いやいや

 

今回のイラスト大会中、必見の鬼はこの鬼。

この鬼いかにして退治できよう(いやできるはずがない)反語の1つも使いたくなるのが、鬼嫁どうするよ問題。多分桃太郎でも倒せないぞ。コレ。

「何か?」と聞かれれば「いや何も。」と応える。こだまでしょうか?いいえ逃げるしかないやつです。

→にげる

しかしまわりこまれてしまった。

そう、この鬼から逃げることはできないのです。

鬼の正体を考える。

永遠の愛を誓ったが故かこの鬼とおいそれとは離れることはできません。あああんなにわかりあった姫君は鬼嫁へと姿を変えてしまったのだ。これはとんだおとぎ話かホラーか、はたまたごくありふれた日常のストーリーになるんでしょうか。

胸に手をやると対峙する鬼への恐怖は増すばかり。しかし何が鬼を作り出してしまったのかを考えたとき、この鬼は最初から鬼ではなかったことを思い出し、また胸が痛むのです。

自身のディスコミュニケーションだったり、面倒くささ、無配慮という不作為は、存外に人を鬼に変えてしまうのかもしれません。身近な人であればなおさらに。大事な何かを欠いたが故に姫君は鬼に姿を変えてしまったのだと。ならば対策の取りようもまたあろうものです。

キーワードは「まめ」さ

我々には豆がある。そうとっておきの最終兵器の豆が!ぶちまければ勝てる!というのは間違いで、私たちが鬼と対峙するとき、心がけるべきは「豆」ではなくいわゆる「まめ」さであるように思います。「ケア」することといっても差し支えないでしょうか。「ケアる」ことによる回復、関係の修復は、時間もかかるでしょうけど身の毛がなくなるまではかかりません。

つまるところ身近な鬼はやっつけるような存在ではないのでしょう。鬼へと姿を変えた姫君の呪いを解くのは、武器ではなくやさしさやぬくもりに似た「まめ」さなのかもしれません。

そうとなれば、身を正しがてら今年の節分の掛け声を「鬼は外!福は内!豆な俺!」にしてみるってのは、いかがなもんでしょう?

鬼の攻略ルートが実は強くなることではなく、まめになることだったのだったなんていう話の結末は、蘊蓄のあるおとぎ話っぽさがあって私は好きなもので。

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