夏、こんぶくろ池に射す陽

夏、こんぶくろ池に射す陽

夏が好きです。
それはもう暑ければ暑いほどに。
頬を伝う滴る汗にこの世の夏を疎ましく思うことさえ、夏にしかないものだとすれば、その暑さもまた季節を巡る風情のようで、五感で感じるこの季節のありがたみが体に染み入ってきます。

夏暑いのは当たり前のことと受け入れてしまった時、その次の気持ちには何が湧いてくるか。一歩踏み込んだ先の風景を求めずにいられないのは、最早性分のようなものでしょうか。当たり前のものに当たり前の突っ込みを入れた先に見えてくる情景は、やはり一人ひとり違っていて、私なら私にしか見えないものです。
今日は「あちーっ!」の先に出てくる言葉を見つけにこんぶくろ池へと散策してきた話を取り上げてみましょうか。

この夏、柏の葉キャンパス地域にあるこんぶくろ池へと早朝何度か散策へと足を運んできました。

立秋から処暑へ入る夏の終わりが見えてくる頃、盛夏を過ぎてもなお生い茂る森の木々はお構いなしのこの世の夏を感じさせてくれます。触覚に感じるは夏の陽が登る前に微かに残る森の冷気と、体を伝う汗。踏み入れる遊歩道は夏故か落ち葉も少なく、久しぶりに土を踏む足先に森の中にいる触感が伝ってきます。

夏の陽に昇る音があるとするならば、ずいぶんと騒がしいものになるでしょうか。控えめな足音に対して合いの手を入れてくるのは、どこにいるともしれない虫たちの声。バラバラに鳴く彼らの雑多な声も楽曲たらしめるのも陽光の美しさのなせる指揮さばきがあってこそ。

出かけたのは、深い緑に包まれた静寂の世界に色が再び灯される頃。森に射す陽の光は低くとも、森の中に少しずつ色が挿されていました。今日の彩りを一足先に見るようなそんな気分になります。

一筋の陽光が木漏れ日となること、こんぶくろ池は夏のしるしに「一筋の光が彩りをつくること」を示してくれていました。緑の茂る夏のはつらつとした陽光は、しばらく見とれていたくなる魅力に満ち溢れています。

散策の最中、心の中にはもちろん「あちーっ」という当たり前の感情が湧いてきます。暑いものは暑いと思うのは至極当然のことで、相変わらず心頭滅却するような悟りは開けそうにも、また開く気にもなれませんでした。

暑さ含めてすべてを受け入れられるような度量の広さは持ち合わせてもいないのですけれど、暑いだんけど不愉快じゃなくて「まあ、そーゆーもんだよねー」と合点のいくような気持ちと、めっけもんの光景を目にできたことで「ラッキーw ウェーイwww」と得したような気持ちになります。

「あちーっ」からと言って別に機嫌を悪くすることは何もなのは冬寒いのと同じで、暑いなら暑いなりにご褒美があります。夏の早朝にモノ好きが森を歩いてみて、五感を持って知ることができたものは、夏なら夏なりに眼前の世界は開かれているといったところでしょうか。当たり前の物事には当たり前の面だけではない、面白味が結構残されているものです。もしも伏し目がちになりそうな世の中にもその目を開き、その足で歩むことができたならば、こんぶくろ池で見たような一筋の光が挿すことだってあるかもしれません。

画面でしか見たことのないような「一筋の光が挿す」感じは、写真だけではもったいないですから、是非一度こんぶくろ池を訪れ見て頂けたらと思います。

 

ちなみに今日の記事は、下記の記事と対を成すセルフオマージュです。暑いのでこの辺は省エネで。

冬、こんぶくろ池も凍る

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