北口の瞬足

北口の瞬足

もうすぐ、近くに新しいスーパーがオープンする。
「工事してる時からずっと待ち望んでいるんだよね」と母さんに言ったら、「今時、期待を持って待ち続けるっていうのは、とってもお金がかかるし、我慢することも多いものなのよ」とぼくの話を聞いてくれているのかよくわからないあてずっぽうの返事をされた。

少し遅い朝ご飯をかきこんで「早くしないと遅れちゃうよ」と母さんに声をかけると
「スーパーのオープンが待てるくらい気長なんだったら、あなた、自分のお母さんのことくらいもう少し待ってくれてもバチはあたらないんじゃないの?」と返される。
なんだ。さっきの話ちゃんと聞いてくれてたんだと顔が一瞬ほころびそうになったけど、さっきのあてずっぽうな返事を思い返すとか腹が立ってくる。何なんだあれは。問と答えが合ってないじゃないか。だから大人はずるいんだ。

なんだかムカムカしながら歯ブラシをしてやっぱりまだムカムカするから玄関に座ってカバンに入れたなぞなぞの本を読んで待ってたら、5問目を解いたところで平日の朝みたいな大人の格好をした母さんが現れた。

白い長袖のシャツに紺色のスカート 首にスカーフを巻いててるけど相変わらず似合ってない。とはいえ母さんの格好が平日の朝っぽいなら、ぼくはおじいちゃんに会いに行く日のぼっちゃんみたいな格好だから人のことをあんまり悪くは言えない。

ぼくは、母さんが準備した白い半袖のシャツを着て紺色の半ズボンを履いていた。これで赤い蝶ネクタイでもしてたなら、あの少年探偵のように謎は全て解けただなんて言えそうな気がしたけど、それはなんだこどもっぽいし、本のなぞなぞはまだいっぱい残ってもいたから、そういうことはもう言わずにおこう。

何しろぼくはもう4年生になったんだから、もう低学年のこどもじゃないんだ。その証拠にこどもじゃないから学童にはもう行かなくてよくなったんだ。

学年が上がる前の春休み、3年通った学童も終わりになるから母さんは「これからはあなたに任せる」って言ってくれてここまではホントに良かった。

まかせてもらったぼくは、春休みの間、家で好きにマリオしたりYou tubeを見て過ごしたんだけど、それが母さんの癪に触ったみたいでめっちゃくちゃ怒られた。「宿題はちゃんとやってたんですけどっ!」って付け加えたら、これが輪をかけて駄目だった。

今思えば炎上っていうのはこういうことなんだってわかったことが春休み唯一の収穫だったのかもしれない。

そうして自由になるはずの4月は、目の前であっけなく消え去り、新学期は母さんとの塾探しが始まった。

安心安全な放課後と輝かしい未来のためらしい塾の面接があるせいで今日が土曜日なのに、平日朝の母さんとぼおじいちゃん家にいく日のぼくがいるのは、まあそういう4年生なりの深い理由があるわけ。

平日のつまらない朝を思い出させる母さんの格好を見るとまたムカムカしてきて「遊ぶのはこどもの仕事だって言ってたのにさ!」と玄関口で最後の抵抗をしてみたら
「いい仕事をする人は、いい勉強をしてきているものなのよ ユーノー?」とひらりとかわされる。これだから大人はやっぱりずるい。それにぼくの力じゃまだ勝てないと思わされる。

観念したぼくは、ばっちり上下おぼっちゃんのおでかけ着のいでたちに最後の仕上げとなる玄関の黒い革靴に目をやる。

この靴は去年の秋おじいちゃんに会いに行くときに買い揃えてもらったものだ。
ちょっと懐かしいなとそのときのことを思い出しながら、足を入れると中々足が入っていかないし、何だか足の先っちょがちょっと痛い。

つま先って言葉がすぐ出てこなくてツメサキだったかツマサキだったか一瞬悩んでから声を出す。
「この靴、もうきつくて履けないよ?えっとツマサキが当たるの」
マだかメだかわからない気の抜けたひつじの鳴き声だったけど痛いものは痛い。

「そんな!この前買ったばかりでしょ?」
「この前って言ったってこれ去年のものだよ?」
「いや、でもまだ履けるでしょ?」
この場合の「いや」は何が「いや」なんだろう?
母さんは、ぼくの頭の疑問と両足の訴えをよそにそれでもこの革靴を今日の面接で履かせる気でいたみたいだった。珍しく少し焦ってもいる。

「ほらほら見てよ、これこれ」と窮屈そうなぼくの足先の革靴を見せて靴先を指でさわってもらう。
今の母さんとぼくのつまさきだったら余裕の無さはいい勝負だったかもしれないけど勝負の時間は短くて、いつでも少し母さんの決断は早い。

「じゃあもうわかった。これでいいから」と諦めとも決断とも取れる語気で母さんは玄関の隅っこにあるぼくのまだ真新しい瞬足を指差した。

「OKわかった!瞬足でいくよ ユーノー?」
「アイノー アイノーよ ほら早くして」

この1年で1cm靴のサイズが大きくなったおかげで、今日が始まって9時間51分経った今まさにぼく(とそしてぼくの両足)は、母さんに一矢報いてみせた。

そうは言っても感慨に浸る間はなく勝利の余韻は一瞬だ。

こんなやり取りをしていたせいで面接の時間までギリギリになっちゃったから急いでおじいちゃんの革靴を脱いでいつもの瞬足を履く。

母さんもヒールの高い靴から、見慣れたパンプスに履き替えたものだから、この後の流れは想像の通りだった。

スタート地点の家の玄関をドタバタと駆け出て、右へ曲がって真っ直ぐ30mダッシュする。第一関門となるエレベーターが閉まりかけてたからそこで母さんの「ちょっと待ったー」が炸裂した。

タイムアップギリギリの無理めに停めて駆けこんだエレベーターには、今年同じクラスになったまるがまるのお父さんと二人で乗っていた。
こういう場面をクラスメイトに見られるのはタイミングが悪いし、恥ずかしくて顔が赤くなる。それにこの流れまでは想像もしてない。

「おはよう。なぞたん。お急ぎ?」
「うっさいなぁまる。急ぎじゃなくて走ってエレベーター止めるやつがいるかっての?

「何それおもしろい。新しいなぞなぞ?」
まるはケラケラ笑っていたからまるの父さんも釣られてくすくす笑ってる。

母さんはまるのお父さんと大人らしい挨拶を交わしながら、今日塾面接に行くことなんかを話してたけど、エレベーターが4階から1階に下るまでこんなに長い15秒は多分今までになかったと思う。

エレベーターが長い旅路の果てに1階に着いて扉が開くとまるたちに軽い挨拶を交わし、母さんと僕は、小走りでマンションの玄関を出る。
後ろでまるが何か言ったのが聞こえたけど振り返ってる暇なんてないから今度の月曜クラスで聞くことにしよう。

瞬足を履いたぼくは、最強だし、最速なのは間違いのないことだから、駅前の塾まで急いで飛ばせば3分で着くだろう。

問題は母さんの脚がどれくらい早いかだななんて思ってたら
「ぼーっと生きてるんじゃねーよ」とキレイなフォームで右足を踏み込んで、昨日の雨でできた北口の交差点の水たまりをジャンプして飛び越えていく。

これ置いていかれるヤツかもしれないと思うと同時に、母さんの飛び越えた水たまりに挿す陽の光がキラキラしてキレイだったから、僕もジャンプして飛び越える。

僕はもう4年生だから、これくらいの水たまりはもうジャンプで超えられる。
学童には行かなくてよくなったけど塾には行くかもしれないそんな年頃だ。

駅前の塾まで母さんと本気の勝負で走ったおかげで塾にはギリギリ2分前に着いたけど最後まで母さんに勝つことはできなかった。

あれは多分水たまり分フライングしたからだ。これだから大人はやっぱりずるい。

つづく

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