利根運河のビリケンさんは、この前新居に移ったばかりでしたけれど、お怪我をしたのでしばらくの間お休みになります。
<幸運の神像>犯人は誰? 「ビリケンさん」倒される
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180404-00000083-mai-soci
旧ビリケンさんの家から先日の3/24に新しい屋根付きの家に新居に移った途端の出来事でした。
お休みの間、運河の福之神が不在なのも何なんで、今度100均で粘土でも買ってビリケンさん(代打)を作って今度の週末、運河のどこかに設置でもしてこようかと思います。
先日開催されたイベント「ビリケンさんを探せ」を気持ちがいいまでにパクり、ビリケンさんを探せ(代打編)とでも洒落こんで療養中のビリケンさんのお留守を勝手に預からせてもらうのも良いかもしれません。
こうしたニュースにありがちなのは、義憤にかられてわかりやすい悪者を布団のごとくどこまでも叩くことでしょうか。
怒られるでしょうけれど「我こそは正義」の気持ちよさは、連帯感もあって時には良いものです。
しかしながら別にそれで世の中が面白くなるわけでもないことも自明の理なんで、福之神が療養中の不在をそんな「気分」に任せて嘆くよりは、楽しむ「意思」を持ったほうが、前を向く姿勢を示すことになるかななんてことを思った次第です。
勝手ながら代打させて頂く位のノリのほうが療養中のビリケンさんも笑ってくれるかな?なんてことを思いますし、福之神の不在を嘆くなんてとんだ気分屋の悲観主義ですから、一つ言葉を借りて今日は〆たいと思います。
アラン「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである」