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流山おおたかの森駅前にトンカツ屋の出店が待たれる話

I ♡NY
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QOL爆上がりの新店オープンが続く流山おおたかの森駅前の近況ってホントすごいよね!!

みんさんこんにちは。すみずみ@流山おおたかの森です。
ここしばらくの間、流山おおたかの森駅前の変化って目まぐるしくってとってもエキサイティングですよね!往時を知っている私からすると、数年前と比べて街はすっかり様変わりしたようでこの街がアップデートされていく感じにとてもワクワクしています!!この勢いどんどんと続いてほしいものです。

こうした最近のおおたかの森のワクワクの要因として挙げられるものは、大型商業施設「COTOE」や「竜泉寺の湯 スパメッツァ おおたか」及びアゼリアテラスにできた「ヴィノスやまざき」並びに「Espresso D Works」の新店オープンがあったことは言わずもがな、これらのお店が我が家のビックパントリーに、サ道追及の場に、ワインセラーに、仲間たちとのくつろぎの場になることで、私たちおおたかの森(通称おた森)に住む森の民の暮らしをさらに一歩、スタイリッシュなものへと高めてくれたことに疑いの余地は無いでしょう。

さらに新しい生活様式(もはや死語ですよね。)によるテレワークの定着が追い風になり、我々森の民はわざわざ都心に出ることなくコンパクトでありながら、おた森駅前でほとんどすべてのことが完結するというオールインクルーシブなQOL爆上がりの理想的な郊外暮らしができるようになったことも見逃せません。

最新の情報は感度も高く親切な方々が詳細をSNSで拡散してくれる他、複数の地域メディアの方々が詳細を記事にまとめてくださったりと、森の民のインフルエンサーの方々から鮮度の高い情報が常に入ってきます。これにより「おた森で今何が人気か」がスマホをなぞる人差し指一つですぐにわかりますし、QOL爆上がりの一因にもなっています。話題から交流が生まれ、さらに盛り上がる好循環のエコシステムがおた森をピースフルでハッピーな街へと変えつつあり、これら一連のシステムは、流山市がうたうシビックプライドの醸成へとも繋がっていることでしょう。

そうそう、お子さんを持つ親御さんでも駅前の送迎保育ステーションを利用すれば保育園での日々の送り迎えの負担も軽減されますから、子育てだって駅前オールインクルーシブだと言えますし、在宅での仕事する方もお子さんを保育園へと預けていれば、昼時、SNSで知り合った属性の近いお友達同士で、「昼12時のシンデレラランチ」を駅前の洒落たお店で過ごす楽しみさえ叶うようになりました。
この楽しみ方はおた森ならではだと思いますし、皆さんがTwitterを始め次々と繋がっていく様におじさんも「そろそろ勇気を持ってオフ会(死語)デビューしたいわね。」と思わされちゃうほどですよ?

これらの理由からか今人気の街ランキング等に目をやれば、おた森がこれらのランキングに顔を出す常連となったのは記憶に久しいところですよね。そればかりか、下位からランキングを見ていってランキングにおおたかの森が出てこないことに「これはまた上位のパターンね。」と予想できるランキング上位者の風格すら身につきつつあります。テレビで特集されることも増え、この街の世の中に知られてしまった感に「人気の街でつれーわー(チラチラッ)」とランキング上位住民しぐさをかましつつ、内心はわが街が評価されて鼻が高い=シビックプライド的にもマンモスうれぴー(だから死語だってばよ)展開を楽しめるのもまた一つのも醍醐味となりました。

そんな人気のおた森ですから、その人気故に不動産価格の需要は高まるのは世の常。さらにあらかたの駅前大型マンション計画が竣工を迎え、当面の新規計画(+計画地)による供給がないことから、神の見えざる手はおた森駅前のマンション価格を購入したほとんど全ての方がキャピタルゲインを得うるボーナスステージへと導きました。この街の人が「マンション価格高い!!」話題を好むのは、当地に既にマンションを買った人の「私も今マンション売ったら+○○○万」という夜な夜なSUUMOで物件検索する取らぬ狸の皮算用的な密かな楽しみがあるからと言ったら、まあこれは少し言い過ぎかもしれませんけど思い当たる方もまたいるのかもしれません。

とまあ、2022年最新のおた森界隈のSNS仕草に則って、私も振り落とされまいと50歳近いおじさんなりのおた森最新の流行に則ってアップデートをしてみたのですけれどいかがだったでしょうか?

よろしければ各種ボタンからSNSへの拡散や感想やコメントを頂けると励みになります。私もTwitterをやっているので是非フォロー、フォローバックさせてもらたらと思います。

おしまい。

 

 

 

おっと、今のおた森が楽しすぎてすっかりタイトルのトンカツの話を書くことを忘れていました。


ここから先は、お時間のある方だけの延長戦です。さあ、たまには現状の流山おおたかの森をディープにそしてキレッキレに語ってみましょっかね。

その前に「隙あらば自分語り」

今回のお話の前提としてまずは、@おおたかの森の民(別称アットマーク民)らしくちょっと自分語りいいすかね。

私は、流山のお隣柏市の出身です。しかしながら通った幼稚園は八木幼稚園ということもあって流山との付き合いはかなり長く、TXが建設前に夢の常磐新線と呼ばれていた頃の流山おおたかの森が本当の深い森だったことを知っている古い人間です。流山市民になったのは2008年で流山市内で住居を変えること3度、最近、おそらく最後となるであろう引っ越しをしました。

現在はnot テレワークで平日の月曜日から金曜日を都心で仕事をしています。時折海外出張にも行ったりしてましたけれどもCOVID-19の感染拡大でそれもしばらくは無さそうです。勤め先の自慢の福利厚生と言ったら、「夕方からビールが飲めるところっ!」なんてことはなく、ヤクルテトレディーがヤクルト1000を売りに来てくれるところっ!というアップトゥデートなネタがあるくらいなものです。

平日家に帰る頃は夜9時前後ですから外食をするにはもう遅い時間といって差し支えないでしょうし、駅前で買い物をするにしても閉店間際を足早にといった時間となります。いわゆる都心勤務者が、夜寝るために帰るベッドタウン的な付き合いが流山とは長く続いていると言ったらイメージしやすいかもしれません。

それゆえに土日のお休みを流山の街で過ごすことは私にとっては1週間のご褒美であり、7分の2の貴重な恩寵(inspired by SIAM SHADE)のように感じられます。束の間の土日の休みではできる限り家族と街や公園へお出かけをしたり、趣味の写真撮影やランニングに精を出したり、住む街流山でのひと時を書き留めたりとひとつひひとつの経験を出来る限り楽しもうと心がけています。

それはこの頃の夏至の頃の日の出が早まる様を眺めたり、梅雨時の降り注ぐ雨粒のひとつひとつが庭木の葉の緑を濃くしていく様を思い描いたり、流山在住のクリエイターさんの作品を見に行ったり、妻と私にその小さな手を預けた子どもが空に放たれる姿だったりと様々ですけれども、自然の美しさや人の笑みが織り成す光景は、私がそれを望む限り眼前にピースフルでハッピーなものとして広がっているように感じられます。

人生にはこう生き生きとした、しかも一銭もかからない楽しみがいっぱいある。

アラン「幸福論」 より引用

晴れている。降っている。天気の移り変わる様はそれだけも尊く、推しがあることもまた尊いものです。突き詰めていけば息が吸える、息が吐ける…呼吸そのものに楽しみを見出すことができる人、言い換えるならば生きている、ただそれだけで楽しいという人がこの街にこの場に実在しているのです。

そんな私から問いかけを一ついいすかね。

「果たして今の流山おおたかの森は、あなたにとってピースフルでハッピーな街でしょうか?」

この「今の流山おおたかの森は、あなたにとってピースフルでハッピーな街でしょうか?」という問いに対して「Yes!!」と無条件で答えらえれる人は、恐らくこちら側の方なので大丈夫です。そのままのあなたでいてください。しかしながら条件付きYESや「うーん…。」の回答保留の姿勢を決め込めたい人も少なからずいるのではないでしょうか。

この歳までサヴァイブしてきた審美眼や洞察力を持ってして、なんてごたいそうな事を言うこともなく、昨今の流山おおたかの森に暮らす方々のTwitter上の発言から見受けられる心証には、目に見えてわかる違和感を感じることが増えました。

この違和感の元は一体何なのかを理解しようとすることもまた私の酔狂な楽しみの一つとなっていたわけですけれども、ようくやく一筋の説明がつきそうになりましたので順を追って語って参りましょう。

オールインクルーシブの代償。エコーチェンバー化とヴェブレン効果

「今の流山おおたかの森は、あなたにとって便利な街でしょうか?」とその問いを変えたとき「Yes!!」と答える方の割合の高さは想像に難しくありません。冒頭の通り、今の流山おおたかの森駅前はオールインクルーシブな街として都市間競争を勝ちうるだけの充実度を誇るようになったことに疑いはありません。

ただそれを持ってしてもハッピーでピースフルな街とはならない原因は、街の充実度ではなく私たち一人ひとりの心証の中にあるように感じられます。

端的に言えば様々な事柄が駅前で完結する便利さ=オールインクルーシブな構造が仇となっていると言えるでしょう。

エコーチェンバー化がすごーい

南流山にコーナンみたいなバカでかいホームセンターがあったり、市内に既に日高屋があることを知らないくらいに駅前の徒歩圏で諸々が完結するオールインクルーシブな暮らしは、その人の繋がりもまた同様の話題で完結することを望むようになります。そりゃ興味関心が同じ方向に向くならば関係性(=つながり)は構築しやすいですし、何より共感しやすいものです。さらに先例をなぞった行動は、不特定多数に「いいね」の形で共感されるようになると共感が共感を呼ぶ気持ち良さにあがなうことはまた難しくなります。目の前に指し示されている正解例をなぞれば「いいね」をもらえる構造は同調圧力のなせる業。共感に身をまかせて得られる快適さは、まさにエコーチェンバーと言って差し支えないでしょう。

エコーチェンバー」とは、ソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたものである

総務省WEBより引用

流山ブロガー界隈でもこのエコーチェンバー化において少なからず影響を与えているものがあります。2022年最も勢いのある四文字ブログ(自主規制)はその一つですね。トレンドブログの作法に則った元リク出身が運営者が作り出す自称地域メディアでは、something NEWを求めるおおたかの森周辺住民に内容はペラいが情報は早い=チラシの渦によって情報過多を渇望させるように導いたのはメディアとしての文化性はともかくとして商売としては、見事成功していると言えるでしょう。

PV重視で共有及び共感されやすい記事内容は、しかしながらその実、SEO業の広告屋さんが元号外ネット野田、流山のライターを囲って量産されるお金の匂いがする記事でもあります。当該地域の検索結果のサジェスト汚染はすさまじく、情報はあるが知りたい情報は無い(または薄い)ことで、行ったこともない店の既視感ばかりが蔓延され、かつてのブロガーが持ち合わせていた生き生きとした、しかも一銭もかからない楽しみの共有が無くなっていくような感覚もまた憶えるところです。

ヴェブレン効果もすごーい

エコーチェンバーを強化するものを語る上でまたヴェブレン効果に触れないわけにはいきません。

ヴェブレン効果(Veblen effect, ベブレン効果)とは、製品の価格が高いほど見せびらかしたい心理が働き、需要が増加する現象のこと。 「顕示効果」ともいう。 高所得者を中心とした消費者による顕示的消費の一つである

シマウマ用語集より引用

最近、Twitterで見たことありませんか?

「誰と集まったか」を見せびらかす「アカウント名@おおたかの森」の人。例えば、おおたかの森の人気店でのランチ自慢やApple watchを見せびらかしたり、参加者のスマホ並べて写真撮ったり。目下流行っている映画に合わせてアカウントのアバターにサングラス掛けちゃってる人とか等々。

一連の流れで某市議会議員がパリピだったことを白日の下に晒したのは、この街の観測者視点ではめちゃくちゃ面白かったですけどそれはまた別の話、彼らの消費性向をヴェブレン効果「有閑階級の理論」に基づく顕示的消費としてとらえると合点のいくことが多々あります。

オールインクルーシブな街と言えども、郊外の一都市の中、駅前商圏でいわゆる「映える」スポットは、まだまだ限られています。そうしたお店が限られているからこそ、自称高所得者がその余りがちなお金を使って街に住む上流層としての顕示的PRを行うこスポットもまた限られているのです。オールインクルーシブだがコンパクトである街という自己完結性と選択肢の少なさが、テンプレート的なヴェブレン消費を誘発し、階層化を推し進めていることは、目下のおおたかの森駅前の構造的な問題となるわけです。

引き合いに出す土地の名をたくさん持っていた方がよいのだ。それは話の間をもたせてくれる。ではそれが自分のためになっているか、ほんとうに見たといえるかとなるとぼくには彼らのやり方はよくわからない。

アラン「幸福論」より引用

「Espresso D Works」に集まってパンケーキを。「肉のおおやま」で低温レバーを。「コンステラス」でスイーツを。「昼から駅前でランチを」「夜集まって飲み会を」駅前半径100mニアフィールドで完結されるヴェブレン効果による顕示性の高い消費行動が、憧れを抱くワナビー(wanna be)をまた一人また一人と「@流山おおたかの森」化させるのです。

そうして2021年以降、twitterアカウントに多く見られ始める「アカウント名@流山おおたかの森」の出現は、駅前最後の大型マンションの入居者の増加時期と重なるのは、必然だったのかもしれません。誰でもつながりを求めることに本来、他意などあるはずもありませんしね。

ヴェブレン効果による「映え(ハエ)」の拡散とエコーチャンバー内で純粋培養される共感と憧れを抱く「ワナビー(BEE)」、このハエとハチのシステムにより、この多様性の時代に流山おおたかの森駅前はつながりを求める同調性の虫化してしまった。これが私の感じる違和感の原因では無いかと思います。

この「虫化」言い換えるならば、顕示性と共感性が作る新興住宅街における「ムラ社会化」及び「ゲーテッドコミュニティ化」としても取り上げられうる問題のようにも思われるのです。

「消費するだけのつまんねー街に成り下がった」とは最近、お会いした知り合いの方が語った言葉の一言でしたけれども、馴れ合いから生まれるものは、甘美な馴れ合いだけなのです。それを知る古参の住人にとって今の街の騒がしさは、度し難いつまらない街に映るところもあったことでしょう。

そしてスケープゴート化される「母になるなら流山市」

心地よい共感性の馴れ合いの中で「母になるなら流山市と言いながら~」の枕詞で始まる、願望と不満の入り混じったお話を聞くこともまた増えました。シティマーケティングに乗っかった自分自身の判断はさておき、「PRばかりの市役所はクソ」的な発言にみられる自分の不満と選択の責任を外的要因のせいにするあの現象に名前を付けてあげたいものです。不満が不満であるうちは、不満はそのままの形ですけれども、行動に変われば不満もまたモチベーションの源泉になり得るものです。いつまでも不満を口にしてその共感に満足していても状況は悪化するばかりで幸せにはなれはしません。自分が共感したはずのせっかくの銘コピーの輝きを自ら貶めるなんて、随分と気分で生きていらっしゃる!と思うことも最近は増えました。

悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。

気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。否、それだけではすまない。やがていらだち、怒り出す。

アラン「幸福論」より引用

せめてマナーよく

エコーチャンバーとウェブレン効果の元、閉じられた狭い@流山おおたかの森民の人たちのグルメっぷりには「すごーい」と心の底から思いますけれども、それを持って彼らがこの町に何かを果たしているのかについては、何も語るところはありません。

ただ一つお願いがあります。

一つ礼儀作法を尽くして頂けたらと思うのです。

礼儀作法をわきまえるというのは、すべての身ぶりを通して、すべての言葉をつくして、「いらいらしないように。われわれに与えれれた人生のこの瞬間を台なしにしないよう」示すこと、言うことである。

アラン「幸福論」より引用

嘘を言わないで卑劣にもならないで、機会が訪れる度ごとにいつも楽しませることである。ところで、ほとんどいつだってそれはできるはずである。

アラン「幸福論」より引用

そうこんな礼儀作法をね。

落ち着いてトンカツ食べようぜ。トンカツ屋いいよね。

話が巡り巡って、えっと何の話だったっけ?そうそうトンカツ屋さんが欲しいよねって話でした。私がこんな話をしたのにも多分、今のおおたかの森にはリーズナブルなトンカツ屋さんが無いことが原因なのだと思います。(外的要因転嫁)

少し遠回りとなりましたけれども、この街に出現した共感性の無限ループにはまっていることに自分自身が気付けたとき、そのループから抜けて真の自由と楽観主義を貫こうとするとき、「トンカツ」の持つ意味が、新たな街の新たな意志を後押しするものとなることを願ってやみません。

いいかい学生さん、 トンカツをな、 トンカツをいつでも 食えるくらいになりなよ。 それが、人間 えら過ぎもしない 貧乏過ぎもしない、 ちょうど いいくらいって とこなんだ。

美味しんぼより引用

あなただけではなく、私にもまた手ごろなトンカツ屋さんが必要なのです。自分の意志を貫くことを改めて誓いを立てられるようなちょうどいいトンカツがあれば、次の問いにもきっと満面の笑顔とともにYES‼とずっと答えられる気がするのです。

「果たして今の流山おおたかの森は、あなたにとってピースフルでハッピーな街でしょうか?」

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