「流山マーク」の交通標識発見される

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年末のはじまりはじまり

流山に移り住んでいくばくかの歳月が過ぎ去りました。この間、のんべんだらりと生き長らえたというべきか、結婚、子の誕生、オムツ替え、入園、入学と迫りくるライフイベントをつつがなく乗り越えたというべきか、視点をどこに置くかによってこの間の自己評価もだいぶ変わってきそうな所です。

陽が昇っては暮れる中、暑いだの寒いだの言いながら、晴れたり曇ったりを一喜一憂する間に毎日は過ぎ去っていきました。ぼちぼち「終わり良ければ全て良し」のパワーワードをもってこの1年をまとめにかかるのも、例年通りの年末らしい予定調和なのかもしれません。

ともあれ縁あって移り住んだこの街で、主人公「俺」の物語は予定調和を織り込みながら、今日もまた1ページが新しく刻まれます。今は読み手のいないストーリーも、この日常を懐かしくそして愛おしく思う日が来る事を楽しみにして、将来の読み手「俺(おっさん)」のためにもうしばらくは、物語を紡ぐことと致しましょう。

歴史はいつ生まれるか

遅い筆ながらもようやく500記事くらいの戯言を書いてみたところで自分自身の物語たるStoryがいつ歴史たるHistoryに変わるかというところに、少し興味が湧いてきたというのがこの頃の近況です。これは今のところはプライベートな「人に歴史あり」的な半径数メートルの世界での話ですけれども、至極プライベートな話が何をもって、半径数キロメートルに渡り知れる「街の歴史」になりうるか、その可能性にも興味が湧いてきました。

事の始めから歴史を作ろうなんていう大それたこと偉い人に任せるとして、東京郊外と言えば聞こえのいい千葉の片田舎での日常生活、その暮らしの備忘録が果たして後世への歴史を伝える資料ともなりうるのかといったあたりの事いったら聞こえがいいでしょうか。その時々の時代の記録に共感を抱くだけの面白味があったら「歴史のような何か」になる可能性があるのでは?というのが今日のテーマとなります。

流山の由来から見る「面白いから歴史になった説」

実のところ21世紀の現代まで残る歴史的な何かも、「話として共感を抱くだけの面白味があったから残った」的な側面が結構あるように思います。

一例を挙げれば「地名」の由来なんてどうでしょうか。
三軒の茶屋があるから「三軒茶屋」だとか、六本の木が生えてたから「六本木」だとか、おおたかが住んでる森だから「…。まあ、これは触れずにおこう…。」地名の由来なんて安直なものが大概です。それが後世に残るまでに至ったのは、やはり共感を抱くだけの面白味があったからという話です。真偽の程は不確かでもやはり面白いストーリーが拡がるのは、旧い時代も現代もそうは変わらないですしね。

真偽の程は不確かでも面白いストーリー系で言ったら、流山の「流山」地名の由来なんて言ったら、その最たるものと言ってもいいでしょう。

  流山6丁目の赤城神社は、お椀を伏せたような小山上に鎮座しています。

この小山(赤城山)が上州(群馬県)の赤城山の土が流れてきてできたとか、赤城神社のお札が流れ着いたとかいわれ、「流山」の地名伝説の舞台です。

MAJISHINIより引用

赤城山から流れてできた山=流山だなんて、これを最初に吹いた奴のこと、ブロガーとして尊敬しますわ。ほんとマジ、バズ力と吹かし具合が半端ない。この説が市の歴史を物語る副読本とに真剣に資料として掲載されるレベルにまで昇華されるバスのレベル。そしてヤバイのは真偽の程がわからない。コレ。時がすべてを解決するぜと言わんばかりの半端ない吹かし感。

しかしながら当時、なぜこの由来が唱えられ、広まったかを調べてみるのは、非常にエキサイティングの事のように思います。結果としての歴史でなく、過程としての歴史を知ることは、当時の大衆風俗であったり、街の人々の半径数メートルの日常の心象風景にまで至る可能性がありますからね。

ぼくも歴史を作ってみる(レッツ 捏造)

歴史が好きだからと言って、何もそれは古いもの好きを示すのではなく、「歴史を作るのが好きなヤツ」が一定数存在するということも触れておきましょう。私も流山の由来に敬意を表して、例えばこんな冗談から歴史を作ってみようかと思います。

「流山マーク」の交通標識発見される

千葉県流山市では、市民のシビックプライド醸成のため「流山マーク」の交通標識が発案された以降、所在不明となっていたが、このたび流山市内八木にその標識が久しぶりに発見された。この流山マークのモチーフは、市内の歴史遺産赤城神社が鎮座する赤城山となっており、流山の地名の由来でもある「赤城山から山が流れてできた流山」を図示する愛くるしさと猛々しさが共存するデザインとなっている。現場付近は、市内八木の谷津田付近で市街化調整区域となっていたことから、うっかりその存在が忘れられていたようだ。発見者の流山隅々さん(31)は「流山マークは落石注意の標識をかねることもできて一石二鳥だ。これからは流山マークの市外へのアピールも続けて行きたい」と意気込んでいる。

八木の谷津田の一角にある「流山のマーク」

 

※フェイクニュースです。

記事中流山マークの発案と嘘(そして年齢はサバ読み)ですけれども、当時もこんなノリで、歴史って一部分は作られちゃってる気がするんですよね。
しかしながら、この方法は面白さだけを追い求めてしまっている言わば捏造ですから、やはり本気で歴史を作るならば正攻法が必要であることは言うまでもありません。

本気で歴史を作るなら(レッツ シティセールス‼)

捏造でもなく、正しく後世に歴史と呼ばれるもの作るべく「History Maker」を目指すなら、今現在丁度流山では、良い仕事が募集されています。

 

市職員(シティセールスプロモーションマネージャーおよびメディアプロモーション広報官(一般任期付職員))を募集
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バズが歴史を作りうるのなら、この街がシティセールスだマーケティングを重宝するのもわかりみがあります。彼ら彼女らのメインの仕事は、この街の面白さを伝えることが主眼となるわけですから。

現代の歴史を作る「History Maker」たる仕掛け人には、昔の歴史と変わらず共感を抱くだけの面白味を作り出すことを求められるでしょうから、キャッチフレーズだけでない、ストーリーの面白さにも期待をしたいところです。

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