初石のお化け踏切と卓球台のちょっとした関係

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流山おおたかの森駅からアーバンパークラインに乗って柏駅へ向かうときに最初に見かける踏切、見た目はなんてことはない普通の踏切ですが、流山市内では、初石のお化け踏切の名前でよく知られています。
今日は、そのお化け踏切とまったく関係なさそうな卓球台を結ぶちょっとした話を一つ。


今は昔、アーバンパークラインも東武野田線の名前で、おおたかの森駅もおおたかの森SC脇のアンダーパスもなければ、辺り一面畑と雑木林しかなかったずっとずっと昔の昭和40年代、こちらのお化け踏切にも名前はまだ無く、また見通しの悪い踏切には、警報機や遮断機も有りませんでした。

当時は、電車の到来を教えるものがないために、踏切を渡ろうとする通行人と電車との事故が絶えず、亡くなられる方も出るなど、当時の踏切は、非常に危険な状態にありました。
近隣の住人は、警報機、遮断機の設置を東武鉄道に嘆願するのですが、東武もなかなか首を縦には振ってくれません。業を煮やした近所の松田さん、それならば自分たちで何とかしようと踏切に設置したものは、なんとお化け幽霊の人形でした。

通行人への注意喚起と東武鉄道に対する圧力としては、抜群に利いたそうで、そのお化け幽霊の人形は、運転手が人形だとわかっていても震え上がる程見事な出来だったそうです。
程なくしてお化け騒ぎに懲りた東武鉄道は、踏切に警報機、遮断機を設置したため、お化け幽霊人形はその役目を終えたのですが、そのインパクトの強さからお化け踏切の名前だけは今もなお残っています。

現在の踏切の横には幽霊が出ない代わりに、お地蔵様が当時の犠牲を悼み、今の私たちの通行の安全を見守ってくれています。
お化け幽霊作戦を考えた近所の松田さん、なかなかのアイデアマンですが、松田さんが作ったものは、幽霊人形だけではありません。実は、日本で最初にランバーコア合板による卓球台を発明した方であり、また現在、おおたかの森駅北口すぐのビルにあるSAN-EIという会社も、元は松田さんが設立された会社だったりします。

松田さんから今まで綿々と受け継がれたSAN-EIの卓球台の製造技術は、来年のリオデジャネイロオリンピック公式卓球台サプライヤーとして選ばれる程に評価が高く、オリンピックでは日本代表選手の応援と合わせて、SAN-EIのロゴの付いた卓球台を見つけることができるでしょう。
オリンピックで卓球観戦しつつ、お化け踏切に思いを馳せる。
流山ならではのそんな楽しみ方もなかなか良いかもしれませんね。

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