年の瀬が刻一刻と近づき、仕事納めを迎えた後にやろうと思っていた家事を進めています。明日やろうは馬鹿野郎を決め込んで先送りにし続けた結果、もうすぐ明日が来年になる辺りに12月30日らしさを感じます。
夏休み8月31日に宿題を残した少年少女のあの驚異的集中力と家族の巻き込み力を召喚するお膳立てが揃ったタイミングで手つかずだった家の大掃除をエイヤーと力技でねじ伏せなんとか終えようかというところです。
掃除のあとを指でなぞっては、「あら、まだ埃があるわね。すみずみさん本当にお掃除したのかしら?」と昭和の姑仕草をキメては、「お母さま、すみません。そこは今さっき掃除したでしょ?」とさっき食べたでしょムーブの永久機関ループを決めるひとり嫁姑ごっこ遊びが捗ったわけです。
とは言えそんなひとり遊びでは、あらぬ埃や露悪的な冷笑が増えそうでもありましたから、ピカピカになったお家と同じく心の穢れをキレイさっぱり落としに出かけることにしました。
茅の輪くぐりで年越の祓を
出かけた先は、流山市内最大の神社のおすわさまこと駒木諏訪神社です。豊四季駅から徒歩6分程度、おおたかの森からも15分程度とどちらの駅からもアクセスしやすい徒歩圏にあります。

おすわさまでは、大晦日まで今年の穢れを払うべく年越の祓(大祓)の茅の輪が設置されています。お正月を迎える前の年の瀬にこの一年がどうだったかを神前に報告に来ている方は、訪れる人はまばらではあるものの途絶えることはないようでした。

ここを茅の輪のくぐり方になぞろって左周り、右回り、左回り、参拝へと茅の輪をくぐれば、今年一年の穢れや厄を落とすことができ、清らかな心身で新年を迎えることができる習わしとなっています。

今年の穢れ、今年のうちに
おすわさまに足を踏み入れ境内へと向かう数百歩の間、今年一年がどんな一年だったかを考えていました。
初詣で手を合わせてお参りをするときは願いを伝えるばかりですけれども、年越の祓は今年一年を総括する気持ちになります。
学生時代の通知表や、社会人になってからは源泉徴収票に躍る数字にこの一年の頑張りを見出すこともできますけれども、この一年がどんな心持ちであったかを振り返ることは、数字から得るのは中々難しいものです。
そんなときに儀式的に茅の輪をくぐることは心の内に触れるよい機会を与えてくれます。

共感や代弁など周りには情報が溢れているにもかかわらず、本当の自分の気持ちがどうだったかはそこにはありません。内心とは心の内にあるもだからこそそれは当たり前ですね。
しかしながら、時に流されたり、心持ちを仕向けられていると、今風で言うところの「もやもや」は、量の多寡はあれども日々、玄関のタイルの土埃のように積み重なり、心持ちなるものが余計見えづらくなってしまっているようにも感じられます。
心からの共感や自己尊重の気持ちすら利用され、穢されかねない時代において知らず知らずに積もった埃を箒で払うように、茅の輪をくぐったならば本心と向き合う清らかさを取り戻すこともできるでしょうか。

一年のあらかたを終えようとする今、最後の最後に積み重なった自分の穢れを落とせたならば、それはとても良い一年の締めくくりとなります。
特に「いかがでしょうか?」と安易に訪問を薦めるのに代えて、この一年が良い一年であったこと、そして来年がよい一年となることをささやかながら願ってこのお話はおしまいになります。
皆さまどうぞよいお年を。
