第2話 東口の看板

第2話 東口の看板

第1話 北口の瞬足 続き

結局母さんは、家のマンション前の水たまりをスタートしてからゴール地点となるおおたかの森駅前の塾までの道中、一度もぼくにその先頭の座を明け渡すことはなかった。

あれは、きっと母さんが水たまりを飛び越えたときに勝負が決まったんだと思う。それはとっさに水たまりを飛び越えた母さんとキラキラに見とれて躊躇した僕との差だ。

東口の駅前並木通りに入ってからも母さんの背中を追っかけるいくら全力で走ってもその差を縮めることはできなかった。このキラキラの差は、水たまりひとっ飛びフライングをした大人のズルさそのものだし、それを覆すことのできないぼくの力の無さもあらわしてる。

必死さと悔しさを抱えて息を切らせて辿り着いた目的地、駅前の学習塾の入口の自動ドア前で母さんは、その疑惑の1等賞にニッコリ笑って僕を待っていた。

東口の看板

 

僕もようやく母さんに追いついたたところで「あなた、少し足速くなったんじゃない?」息を整えながら母さんが声をかけてくる。
「でもまだ勝てなかった。フライングするようなずるい人にまでは!」
入口の自動ドアが開いたところでチクリとせめてもの抵抗をする。
「そう?ずるかったかしら。それならごめんなさい。でも間に合ったからいいんじゃない?ほら結果オーライよ。」

「それならってなんだよ!それならって‼」それならに続く僕の反論を待つ間もなく母さんは、塾の受付のお姉さんにでぼくの名前を告げる。

「お待ちしていました。こちらへどうぞ。」
眼鏡をかけ、愛想がよくてついでに言うと母さんよりも上手にスーツを着こなしたお姉さんがぼくたちの名前を確認して奥の部屋へ案内してくれる。お姉さんがほがらかに笑っているのは、母さんのずるっこい会話を聞いていたんだろうか。にこやかに笑っているけど表情がよく読めない感じの人だ。
通された小部屋で椅子に腰掛けて、息を整える。お姉さんは軽く礼をして「しばらくお待ち下さい」と言って出て行った。

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母さんのスカーフは、風を切って走ったせいか僕の知らない時代の仮面ライダーのように横に曲がっていたけれど、腹も立つから特に何も言わずに黙っておいた。深呼吸して呼吸を整え、洗いざらしのハンカチで汗を拭く。会場となる塾は、東口の駅前ビルの1階にあって塾の窓という窓に所狭しと色々な学校の名前が貼り出されているのをよく目にしていた。一息ついて周りを見渡すと小部屋の中も似たような貼り紙が多い。

よく知らない遠くの中学校の名前、近所で頭のいい奴の兄ちゃんが行ってる高校の名前、お正月の駅伝大会に出てくる大学の名前なんかが書いてあって、最後に合格おめでとうの文字が続いてる。

母さんはその意味がわかるみたいでぼくに何か言ってくる。「うちの小学校だと中学からトーカツいく子結構いるじゃない?ほら、さっき会った8階のまるちゃんのお姉さんとかさ。案外あなたも本気になったら今からでもトーカツにいけるんじゃないの?」
ぼくは、正直言って母さんのいう「トーカツにいくこと」の意味何だかよくわからない。塾の中にいたるところに溢れるおめでとうの文字もそう書いてあるからおめでたいんだろうけど、ぜんぜん面白くはない。そもそも学校の名前ばかり書いてあって何が面白いのかよくわからない。これはなぞなぞの問題より難しい問題だとも思う。別にこれは塾の窓の壁だけ話じゃなくて貼り紙とか、街中の看板みんながだいだいそうなんだけど。

貼り紙も看板も名前が書いてあるだけでその先がわからないってこと。この街は、ばかでかい名札でいっぱいでなぞなぞの問題より難しい謎だらけだ。今度できるスーパーの看板だってオープン日すら書いてくれないことを思い出すと少し腹が立ってくる。

だいたい看板には名札みたいに主人公の名前ばっかり書いてあって、塾なら塾の名前。美容院なら店の名前、近所にある新幹線で運んでくるすし屋もすし屋の店の名前だけが書いてあるだけだ。「新幹線でお寿司を運ぶよ!あのドクターイエローも!みんなにお寿司をお届けだ!」とか看板に書いてほしい。言ってくれなきゃ行くまでわからないことが多いじゃないか。洋服屋さんは僕の習っていないアルファベットで読みづらい必殺技みたいな名前がついてるから、これはちょっと好きだ。隣街のららぽーとにあるアメリカンイーグルは強そうだから。いつかおおたかの森の鷹と戦わせてみたいんだよな。アメリカのワシと森のタカならどっちが強いんだろう?森のタカも必殺技っぽくしたくて英語の意味を頭の中で探すけど、これは僕がまだ習っていない言葉だった。頭の中でタカの英語の意味を探すために上を向いてありもしない答えを探しに天井に目をやっていたら、ガチャンとドアの開く音がした。視線を天井から音のしたドアの方に移すと間にさっきの受付のお姉さん戻ってきた。

母さんは僕があれこれ考えている間に手際よくスカーフの位置を元に戻してはいたけど、手に取ったコンパクトで家の中でよく言うところの「顔面工事」の途中だったから、お姉さんにその姿を見られて少しバツが悪そうだった。家の中ではズボラな人だから、こうやって一生に出かけると外面が良くしようとしてもどっかでボロが出る。

受付のお姉さんが慣れた手つきで冊子を配り始めて現実が戻る。
「入塾テストを開始する前に、まず冊子をお配りします。こちらにまずお名前を書いて下さい。」

僕もこれからは、塾のポスター看板の主人公の側になるのかもしれないと思いながら、せめてもの抵抗に名前の枠を飛び出るくらい大きく名前を書く。
枠外に飛び出る「吉久成 (よしひさ なる)」の字に本当だったらここに来るはずじゃなかったの説明を書き足したいところだけど、そこは4年生だからやめておいた。

つづく

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