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「ありきたりな女」を受け入れる。主人公からの卒業のススメ

My life
sdr
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桜咲く春先は色々と思いが巡ります。

桜咲くこの世の春は映画のようで歌のようでもあります。

春は卒業という一大イベントがあるおかげもあり、ライフステージの階段を順に登っていく途中の人を見かけると思わずいいね!と言わずにはいられない気分になります。

ある程度の階段を上った親世代の私たちにとっては、階下にいるわが子や若人たちが今まさにそのステージに立ちスポットライトを浴びた晴やかな顔を見かけると、他人事とはいえ栄光の架橋のかかる時を迎えたことにハレルヤ!!の喜びを感じるときです。

卒業を迎える当人にとっての意味合いには、この支配からの卒業なのか、卒業できない恋もあるのか本当のところはよくわからないですけれどもその果てには確かなAOHARU YOUTHがあったことは間違いないでしょう。

写真に残るであろうピースサイン捻りのないストーリーだったと愚痴を呟くところまで含めてこの世の主人公感のある青春時代というものは、のようでまさにこの世の春と表現するに相応しいように感じます。

流行曲にも彩られたその瞬間を思い返すにつけ、あの素晴らしい世界、そのステージにかつて自分自身が確かに立っていたことを懐かしく思い出すこともあるでしょうか。齢を重ねた中、これから卒業するものといったらそろそろ人生くらいしか残っていないかもしれないなんて思うと、過ぎ去った卒業というものは中々に味わい深い経験だったようにわが身を重ねて思い返されます。

「中流家庭に生まれ、過不足のない親の愛に恵まれた幼少期を過ぎ、恋やら部活やら勉強やらに勤しむ思春期を迎えながら、少ないなりにも友達に恵まれる。やがて自由を謳歌し、そして学び、働き、結婚する。」という人生のテンプレートに則った主人公体験としては100点満点に近い経験を重ねた結果、流山に縁あって移り住み子どもが生まれ、母親になった女性の方も某コピーとの通りさぞ多いことでしょう。

しかしながら、これもまた多いことと推し量りますけれども、今まで自分が主役だったはずの人生は、子どもの誕生をもって世界が一変するようにも思います。
繊細さやこだわりやセンスに満ちた日々が過去のものとなり、ただの女、ただの母親になってしまったことを嘆き、かつてのステージのキラキラを追い求め彷徨うゾンビ女子を見かけることもまたこの街では、珍しくない光景となりました。

もしもそんな当てのない彷徨いを続けていて卒業するものといったらそろそろ人生くらいしか残っていないと本当に考えている方がいれば、この世の主役の座を喜んで明け渡してみてはいかがでしょうか。主人公からの卒業の宣言として「good bye!」と唱えてみては?という話です。

自分自身が子を持つ母親となった時、一変する世界には戸惑いが隠せないものです。時間一つ、感性一つを取ってもそのすべてを自分自身のために使うことはできなくなります。その意味では、あれほど繊細に聞こえていた世界の音すらもどれほど強く望もうともどれほど深く祈ろうとももう聞こえないものになってしまうものです。

人生のステージの中心が子に移っていくことは、かつてのステージを受け渡すようで悔んでも悔みきれないものなかもしれません。でもだからこそ人生のステージが変わってしまったことを嘆きとしてだけでなく喜びを内包するものとして捉えるために潔く別れを告げることが必要のように思います。

そしてそれは私たちの年齢においても新しいライフステージの階段を上ることができるという新しい喜びにもつながるはずです。

かつて浴びたハイライトを新しい主役に明け渡すのもそれをまたバイプレイヤーとして支えることも大人にしかできないものです。

もしかしたら大人を始めるということはそういことなのかもしれません。

傍目にはまったくもって、ありきたりな女の人生だと言い切るのは、何も私のオリジナルの考えではありません。
唯の受け売りですから、下記椎名林檎さんの一曲を紹介して今日は終えたいと思います。

ご拝聴頂ければと思います。

椎名林檎さんの数ある曲の中でも飛びぬけて、出色の出来です。
母であること。 娘であったこと。女であること。 の覚悟が謳われています。

椎名林檎 ありきたりな女
https://youtu.be/VjKCLyoHIhY
歌詞はこちらからどうぞ

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