静かな学区の静かな満足 八木北小学校の魅力を考えてみる。

静かな学区の静かな満足 八木北小学校の魅力を考えてみる。

何かの魅力を語るとき、その魅力を人にわかるように伝えるにはどうしたら良いか?この話題、昔から絶えること続く永遠のテーマのように映ります。
魅力を伝える能力のこと、人によっては説得力ともセールストーク能力とも言うでしょうか。また相手に響く言葉を放つためには、それだけ相手の知りたいことを推し量るだけの洞察力も問われたりもします。

スピーカーのごとく繰り返す「いかがすか~いいんすよ〜これー」で魅力が伝わるなら、世の中はもっとシンプルになりそうなものの、今なお世界がそれなりに複雑に映るのは、心のどこかで「魅了されるだけのストーリー」を待ち望む「気持ち」があるせいなのかもしれません。

今日は、流山おおたかの森駅前に移り住んだ各々のストーリーの舞台設定に、学区変更といういくばくかの修正が必要になったことに関連して、にわかに注目を集めることとなった八木北小の魅力を取り上げてみたいと思います。

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そのキーワードは「静かな学区の静かな満足」


先日、小山山と八木北小の学区の区割りを取り上げました。
(参考)小山小学校及び八木北小学校通学区域見直し(案)は都市軸道路の南北で区分け
https://nagareyama-sumizumi.com/449552695.html
上記の記事、平たく言えば、市内でも最新の設備を持った小山小と歴史盛りだくさんの八木北小の学区をおおたかの森駅前の人口増の対応のために一部変更することを検討しているという内容になります。

流山市のシティセールスにおける教育の充実ぶりをわかりやすくするアピールするにあたって見た目にもわかりやすい「最新の設備、綺麗な校内」を体現する小山小に対し、創立140周年を迎えたと言えば聞こえの良いものの「古びた設備、汚い校内」のイメージを持たれる八木北小との一部学区の入れ替えは、人により天と地ほどの差を感じる事もあるでしょう。

特に小山小から八木北小へと学区が変わる方にとっては、イメージしていた「新しい学校」が正反対ともいえる「古臭い学校」へと変わるわけですから、先進的な学校での教育を受けられるという期待に反し、市には騙されたような、許容しがたいような憤りすら感じる事があるかもしれません。 5月27日、5月28日の両日は、当件に関連した説明会が開催される予定ですから、この憤りを感じる人の多寡によっては会が紛糾するようなことにもなるかもしれません。

しかしながら、「新しい学校」を良しとする価値観があるならば、同様に「古臭い学校」を良しとする価値感があってもいいように感じます。言うなれば「故きを温ねて新しきを知る」温故知新という考え方です。旧きものは何かとわかりづらく、目に見えてわかるような目立つ記号的なセールスポイントがありませんから、その良さを静かに少し掘り下げてみたいと思います。

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八木北小学校のは始まりは、この土地の有力者であった鏑木平馬、佐内の父子の尽力によって開設された私学が鏑木学校が祖となります。私財を投じて(駒木・初石・青田・十太夫)の子供たちのために自ら教鞭を取ったと言われており、当時、学校の開設された駒木台には、その功績を称える鏑木佐内先生碑が今も残ります。

東武鉄道野田線の初石駅から 北東に1.5km。
柏の葉公園の南西端から西に広がる果樹園や雑木林の中に, 「鏑木佐内先生碑」と刻まれた 高さ3m程の大きな石碑と, 流山市が建てた「鏑木学校発祥の地」の標識が建っている。
1872(明治5)年に学制が発布され, この地区(駒木・初石・青田・十太夫)においても 官立学校の設立の要望書を出したが 何故か認められなかった。
駒木に在住していた鏑木平馬と その女婿 鏑木左内は, 庶民の教育の必要性を説き, 鏑木家の屋敷内に私財を投じて「鏑木学校」を設立。自ら教鞭を取った。 学費は無償で, 父子も無給で情熱を傾けたという。
1888(明治21)年 ようやく公立の学校となり「鏑木尋常小学校」と改称。 その後「駒木新田小学校」「八木第二尋常小学校」「八木尋常小学校」「八木村立北国民学校」と 名称を変え, 1947(昭和22)年に「八木村立八木北小学校」となり, さらに 町制施行によって「江戸川町立八木北小学校」「流山町立八木北小学校」となった。 1942(昭和62)年には 市制の施行に伴い「流山市立八木北小学校」となり, 現在に至っている。
1930(昭和5)年, 鏑木学校の教え子たちによって, かって鏑木学校のあった跡地に 「鏑木佐内先生碑」が建立された。
副碑のように建てられている 標識は, 流山市が1997(平成9)年に設置した 「流山新100か所めぐりガイド」のうちの一枚である。

http://hamadayori.com/hass-col/school/KaburagiGakko.htm より引用
鏑木の名前、この土地に住む人には馴染み深いもので、今なお微かに分かるものがあるとすれば、八木郵便局入口交差点近くにあるカブラギスタンドやかぶらぎ酒店等も等にもその名を見つけることができます。

教育の大切さに気付き、官に学校の設置を求めるも許可が下りませんでした。それを「残念です。」で話を終わらせなかった鏑木父子の奮闘、「ならば私がやってみせましょう。」という決意があったこと、140年前のおっさんも中々やるなーなんてことを心から思わされます。その意志が巡り巡って死してなおそ続いているからこそ、八木北小学校の今があると思うと感慨深いものがあります。この140年前の父子の奮闘をルーツに八木北小学校が出来て、そしてその八木北小学校の分校たる小山小にまで話が続くのですから。

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旧きを知ったところで、校内に目を向けてみます。
増改築を繰り返した校内の建物の構造は、初めて訪れた人にとっては、「新宿駅並みのダンジョン」と評されることもある複雑な構造になっています。そしてその校舎は、懸念する人からすれば「ボロい」ですけれども、また別の人によっては「懐かしく温く感じる」こともあるでしょう。

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気を付けて!これ昭和の写真じゃないから!と言わざるを得ない水道周り。クレンザーってこんな缶でしたね。

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日の射す手洗い場

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手洗い場に漂う昭和感に対し、トイレは改修が施され、快適そのもので男子トイレで大をすることに躊躇を感じる姿は無いでしょう。男子にとってはまさに大問題だったんですけれども、そんな話も通じなくなるでしょうね。

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女子トイレも全室綺麗に改修済です。手を入れるべきところには手が入っているので安心できるポイントです。

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体育館も親世代にとっては年季の入ったオーソドックスなものです。

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階段の一コマ。今時の小学校は階段でプレステのコマンド教えるのかーと思ったのは私だけではないはず。なんかのんびりしてるなーっと思わされます。

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静かな魅力の一つは、校内の敷地にも生かされています。こちらは庭に菜の花が咲く「一年生専用の庭」
この庭は、一年生専用のもので庭には、ブランコやシーソーの遊具も設置されています。飼育小屋には「コケコッコー」にはほど遠い変な泣き方をするニワトリなんかもいます。目立つものでは決してありませんけれどもそこはかとなく「のんびりやってる感」が醸し出されています。

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春先は教室の外に菜の花が咲き、窓に目をやればこの風景。新しさはなくとも日常にこんな環境があるならば、心穏やかな児童生活が送れることでしょう。

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学校のすぐ近くには市内の桜の名所「美田の桜並木」もあり、春には穏やかな児童生活に花を添えてくれます。
あくせくすることなく、何か殊更に主張するようなこともなく、それでも心安らかに過ごすことができるであろうのんびりとした安心感が魅力の学校です。

駅前の目立つ学区ではありませんし、売りになるような「記号的」なわかりやすいものもありません。それゆえにその旧き良さを知るには静かな時間を費やすことが必要になるでしょう。

静かな時間を費やして得る静かな満足は、直接的で表面的な満足に比べてずっと続きます。心穏やかな満足は大声で言うものではなく心の中に染み入り留まるものですから、本当の評判は伝わりにくいこともあるでしょう。

一部の大人が事の表層を見ていい悪いを決めることなく、お子さんから聞く学校での話に耳を傾けその言葉、声に、出る表情の中に何があるかをみつけてもらえたらと思います。
新しさに目を奪われることなく、旧きを見て新しき価値観がみつかりますように。

「願わくば、その中に静かで確かな満足があることを。」
流山すみずみ
https://nagareyama-sumizumi.com

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